2013年2月25日月曜日
白洲邸 折々の記
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武相荘だより ~白洲邸 折々の記~ 2013年2月25日 第136号
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お知らせ
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★次回、「春展」には毎年恒例の“お雛様”を展示致します。
京都「丸平大木人形店」製、正子が樺山家より持参したものです。
展示期間は、3月31日(日)までとさせて頂きますので、ご注意下さい。
★お茶処では、お抹茶、珈琲をご提供しておりますが、お花見や紅葉の
時期が近づきますと、お抹茶をご注文される方が多くなるような気が
します。日本人だなぁ、と嬉しい発見をしております。
お抹茶セットのお菓子は、正子が好んだ虎屋製羊羹「夜の梅」・干菓子
「推古」と、時季限定でご提供している「武相荘まんじゅう」・季節の
上生菓子をご用意しております。是非、一服なさって下さい。
★展示スケジュール
2013年
「武相荘─春」2月27日(水)~ 5月26日(日)
「武相荘─夏」5月29日(水)~ 8月18日(日)
《 夏季休館 8月19日(月)~ 9月3日(火) 》
「武相荘─秋」9月4日(水)~ 11月24日(日)
「武相荘─冬」11月27日(水)~ 2014年2月23日(日)
《 冬季休館 12月24日(火) ~ 2014年1月7日(火) 》
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武相荘 四季便り
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☆椿…「白侘助」、「紅妙蓮寺」そろそろ終了。
「黒侘助」、「卜伴」の蕾は、まだ固いです。
全体的に遅れております。
☆梅…お茶処前の紅梅が、やっと咲き始めました。
☆クリスマスローズ…お茶処入口や庭に点在しています。
咲き始めました。
☆福寿草…紅梅の後方にあります。もうすぐ開花します。
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武相荘のひとりごと
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我々人間には、解らないのですが、自然の森が減ってきたせいでしょうか。
今年は特に野鳥の食べ物が少ないらしく、早朝から餌を求めて飛びまわる鳥達を
見掛けます。
今年初めて実をつけたであろう十センチ程の南天や、万両のほんの数粒の実や、
玄関先や灯明台の活花の中から、実をつけている枝を目ざとく見つけ出し、食べ
つくしています。そんなに食われちゃ困ると言いたい所ですが、武相荘には、
植えた覚えのない木々が数多くあります。目につく所にあるのは、桜、山椒、
桑などですが、山椒などは、ちょっと困った場所で大きくなり過ぎ、と言って
切ってしまうのも忍びなく、枝を切り、擂り粉木にして、武相荘のショップで
売らせて頂いております。
桑の実は食べ頃になると、必ずと言って良いほど、鳥に先を越されますが、
それでも多少のおこぼれにあずかる事が出来ます。
正子が晩年を過ごした部屋から見える、いつの日からか花をつける様になり、
彼女が毎年楽しみしていた実生の桜も大木に成りつつあります。
それらの木々は、鳥の糞によって運ばれて来たのに違いありません。
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正子の著作より
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『 円空の求道心 ──円空展に寄せて 』
初出:「円空展図録」(1982年、宝蔵館)
後に、「私の古寺巡礼」に収められる。
現在:「対座」(世界文化社)
「白洲正子全集 第九巻」(新潮社)
先日、取材のために飛騨の高山へ行った時、杓子を作っている職人に
会った。今は廃村となった有(う)道(とう)という山村から出た人で、つい最近まで
村全体が杓子の仕事にたずさわっており、「有道杓子」の名で知られている。
元を正せば生地師の流れであろうが、生木を鉈ではつる仕事には、凄まじい
気魄が感じられ、故里を失った職人の、悲しい叫びが聞こえるようであった。
その時、私は、ふと円空を想った。円空の彫刻も、鉈ではつっているが、
鉈や鉋が発明される以前の、原始的な手法をえらんだのは、そういう必然性が
あったからに違いない。聞くところによれば、彼は、十二万対の仏を造ることを
念願したというから、先ず早くできることを必要としたであろうし、自らの
信仰の烈しさを表現するためにも、荒々しい鉈彫りが適していたのではないか。
そのあるものは殆んど仏の形をしてはいず、風雨にさらされた自然の立木の
ように見え、あるものは山陰にうずくまった巌のような姿をしている。現代人は、
そこに言語を絶した造型を見、極端にデフォルメされた美を感ずるらしいが、
それは近代のオブジェ主義に毒された鑑賞で、円空にとっては無縁のことで
あったと思う。
この度の展覧会は、「円空──その芸術」と名づけてあり、それに水をさす気は
毛頭ないけれども、私にいわせれば彼はけっして芸術家ではない。彫刻家でもない。
自分の内的な欲求を満たすために、鉈をふるって神仏を刻んだまでのことで、それは
毎日ごはんを喰べるように自然な行為であった。その無欲で真摯な姿は、貧しい
人々の心を打ち、そこに「円空信仰」ともいうべきものが生れたが、また一方では、
粗末に扱ってかえりみぬ人たちもいた。本来が人に見せるための作品ではなかった
から、そんなことはどうでもよかったに違いない。たまたま自作の仏像によって、
人が救われればありがたいと思ったであろうが、今日のようなブームを巻き起こす
ことは、むしろ迷惑に感じたのではあるまいか。実際にも、美濃や飛騨へ行って
みると、円空の土産物や贋物が氾濫し、これにはいささかうんざりする。むろん
円空の迫力には遠く及ばないものの、中にはよく出来たものあって、それ程円空の
彫刻は真似がしやすいことを語っている。
真似がしやすい、──それは他ならぬ彼が素人であったからだ。芸術家でも
彫刻家でもないといったのはそういう意味で、私は世間の「円空信者」のように、
彼の作品を文句なしに美しいとは思っていない。したがって、大した興味も持っては
いなかった。が、ある日、偶然、近江の伊吹村で、太平寺から移されたばかりの
十一面観音に出会い、全身からほとばしる不思議な力に圧倒された。そこには技術を
超えたものがあった。しいていうなら、それは信仰の形としかいいようがない。
この観音さまには長い銘が刻んであり、それを見て私は、彼の彫刻のよって来たる
所を知った。
その銘文によると、円空は元禄二年三月四日に、伊吹山で桜を切り、五日に加持
祈祷を行って、六日に作ったとある。開眼供養をしたのは七日であるから、まる
一日で等身大の仏像を完成したことになる。なお、漢詩と和歌がそえてあり、ここ
には後者の方をあげておく。
おしなべて 春にあう身の 草木まで
まことに成れる 山桜かな
「草木国土悉皆(しつかい)成仏」(仏の恵みにあえば、心なき草木や国土に至るまで、
おしなべて成仏する)という思想を、詩歌に謳ったものに他ならない。
仏教が渡来する以前に、日本には自然信仰の長い伝統が存在した。山や水を崇拝し、
木や石にも神霊が宿るという宗教の原始形態である。そこにたとえば、自然の樹木に
仏を刻む「立木(たちき)観音」の信仰が生まれたが、円空が実行したのも正に同じもので
あった。別言すれば、仏教が頽廃した徳川時代に、神仏が合体した初期の姿に
還ろうとしたのである。山桜は十一面観音に変身した。自然の樹木さえ成仏する
ものを、いかに貧しく、無知であるとはいえ、人間が救われない道理があるだろうか。
彼は自ら「護法神」となって、髪を逆だて、まなじりを決して、お経を読むかわりに
仏を刻み、貧しき人々の指針となった。それはある一人の修行者の、信仰の証しで
あり、告白でもあった。「芸術」と無縁であるとはいえないが、私はそこに彫刻の
造型美を見出すより、円空という原始人の求道の烈しさを想いたい。
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来館者の声から
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□25年程前に、池部良さんと寿司屋(麻布仙台坂下の)で一緒になった
ことがありました。その時、白洲次郎さんの役をやってみたかったなぁと、
話しておりました。昨年のNHKドラマで、谷原さんはよく頑張ったと
思いますね。
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□“夫婦円満の秘訣は、一緒に居ないこと”・・・実践中です。
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□春夏秋冬 それぞれ1回づつ伺っています。
白洲家の素敵な物たちが四季によって変るので、
とても楽しく拝見しています。
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